2024年度の武蔵野美術大学実験区「MAU SOCIAL IMPACT AWARD」で入賞し、アクセラレーションプログラムに進んだチームにインタビュー。今回登場するのは、「刑務所はなくなるの? ~刑務所のこれから・そのあとをデザインする~」チームです。代表者である北海道芸術デザイン専門学校の教員で一級建築士の大塚裕介さんと、メンバーのひとり、武蔵野美術大学クリエイティブイノベーション学科3年の小野田もものさんにお話をうかがいました。
▼チームメンバー
代表者:大塚裕介(北海道芸術デザイン専門学校 教員、一級建築士)
安里太樹(武蔵野美術大学 クリエイティブイノベーション学科4年)
酒井ひかる(武蔵野美術大学 クリエイティブイノベーション学科4年)
小野田ももの(武蔵野美術大学 クリエイティブイノベーション学科3年)
▼マネージャー
永井史威(Hi inc 代表、ディレクター・エディター)
▼メンター
國廣純子(武蔵野美術大学 教授、タウンマネージャー)
プロジェクトの原点は、住民が受刑者とふれあう北海道月形町
―まず、プロジェクトの概要を教えてください。
大塚裕介さん(以下「大塚さん」):僕たちが取り組んだのは、刑務所と町の住民たちが共生しシナジーを起こす場を提案し、町のあり方と刑務所のあり方をさぐる事業アイデアです。
いま、日本では年々受刑者の数が減少しており、刑務所も減っています。社会にとって受刑者が減ることは、一般的な感覚だと喜ばしいことですよね。しかし、北海道月形町の場合、町の刑務所がなくなると過疎化が進んでしまうという問題を抱えています。というのも、実は刑務所に入所している受刑者は、その町の人口にカウントされているのです。行政単位での支援や税金、自治体の財源などは、人口とひもづいているものも多いため、刑務所がなくなると人口が減り、財源も減ってしまう。受刑者が減ることは、月形町にとっては由々しき事態なのです。
また、そもそも月形町は北海道の開拓時代に樺戸集治監(かばとしゅうちかん)という刑務所ができたのがきっかけで形成された町です。町があったところに刑務所がつくられたのではなく、刑務所があったところに町がつくられたのです。日本最長の国道12号線は、実は樺戸集治監の囚人たちがつくったと言われています。ちなみに月形という名前も、初代の典獄(監獄長)であった月形潔の名前に由来しています。大正時代に樺戸集治監はなくなりましたが、1980年代に東京・中野刑務所の移転先として月形町が誘致し、いまの月形刑務所が開庁したのです。
現在、月形刑務所では新しい取り組みをしています。受刑者の方々が刑務所からバスで町なかの作業場に出向き、町の特産品であるトマトジュースづくりに携わっているのです。当初、町側は刑務所と連携することに不安を抱いていましたが、町民の受け入れは良好で、むしろ助かると感じているようです。こういった背景がある月形町なら、刑務所との新しいシナジーを生むことができると思い、今回のプロジェクトを検討しました。
―一般的に刑務所はその地域のなかで疎まれる存在だと想像してしまうのですが、月形町は受刑者と住民が共存しているんですね。
大塚さん:そうなんです。月形町では、町民と受刑者が直接交流する機会があります。月形町は2メートルもの高さまで雪が積もる豪雪地帯で、多くの家が除雪を人力で行っています。しかし、ひとり暮らしのお年寄りが多く、困っている方も少なくありません。そこで、受刑者の方々がそうしたお宅へ出向き、除雪作業を手伝っているのです。

除雪作業を手伝ってもらったお年寄りが、受刑者の方々に「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えると、受刑者の方々は「ありがとうと言われたことがほとんどなく、びっくりしてなんて返していいのかわからなかった」と話していたそうです。このような取り組みが行われていることに僕も驚きました。
月形町で生まれ育った人たちは、町の成り立ちや歴史について小学生のときから学んでいるため、受刑者に対する一定の理解があるのかもしれません。 最近では、地元の高校と刑務所が協力して、プロダクトをつくる取り組みが始まりました。この高校の生徒の半分は、近隣の岩見沢市から通学しています。しかし、彼らも刑務所と協力することに疑問を抱いたり、反対したりする様子はありません。これは、僕にとってはいまだに不思議なことです。「街に人がいないから、一緒にやってくれたら助かる」というような、ゆるやかな受容があるのかもしれません。
Zoomを通じて“壁打ち”しながら、プロジェクトの方向性を見いだす
―そもそも、大塚さんはどうして武蔵野美術大学実験区に応募しようと思ったんですか?
大塚さん:2024年3月ぐらいに、月形町の有志の方たちが、町おこしを目的としたアクセラレーションプログラムみたいなものを開いていて、それに参加したことが一番大きなきっかけです。そのころにちょうどムサビのクリエイティブイノベーション(CI)学科の学生たちと出会い、彼らとなにか一緒にやりたいなと思っていました。
そんなときに実験区のことを知ったんです。実験区の主旨がこのプロジェクトにすごくぴったりだったので応募しました。最初は個人で応募したのですが、一次審査のときに以前出会ったCIの安里太樹くんと再会し、安里くんを通じてムサビ生とつながっていまのチームができました。
―小野田さんも安里くんを通じて大塚さんと出会ったんですね。
小野田もものさん(以下「小野田さん」):はい。2024年に岩見沢市で行われた別プロジェクトに参加したのがきっかけで大塚さんとつながりました。もともと岩見沢市に行くのが決まっていて、そのことを知った先輩の安里さんが紹介してくれたんです。安里さんは私が高校2年生のときに参加したイベントのスタッフをしていて、そこで初めて知り合いました。そこから仲良くさせていただいています。
―小野田さんはこのプロジェクトのどういうところに興味を持ったんですか?
小野田さん:刑務所に対して抱いていたイメージと実情がまったく違うという驚きがまずありました。受刑者が町で雪かきをしているという話にも衝撃を受け、可能性を感じてなにかできそうだなと思ったんです。
―実際にどのように関わっていたのでしょうか。
小野田さん:Zoomを通じて「いまこういうこと考えているよ」というのを大塚さんから聞き、それに関連する事例を調べて「こういうのがありますよ」と、“壁打ち”(※)みたいなことをしていました。そのうえで、「それだったらこういうこともできそうですね」という感じでアイデアを広げていきました。
※誰かに話を聞いてもらって思考を整理すること
大塚さんという企画者が描くビジョンやナラティブを共有していただき、壁打ちという対話を繰り返しながら相互理解を進め、ひとりではなかなか生まれない発想を生み出す、という感じでしょうか。
―壁打ちをするなかで、印象に残っていることはありますか?
小野田さん:大学だと友人同士でフランクに壁打ちすることが多いですよね。でも、Zoom越しに少しかしこまった感じでやるのが初めてだったので、いつもと違うなと感じました。マネージャーの酒井さんや、安里さんが紹介してくれる事例は毎回すごくおもしろかったし、自分も「こんなのがあるんだ」と驚き、勉強にもなりました。とても刺激的な場でしたね。
―大塚さんは学生たちとのやりとりで印象に残っていることはありますか?
大塚さん:発表までの時間が限られていたので、スピード感を持ってアイデアを練る必要があったのですが、壁打ちのなかで「こんな事例があるんだ」「こんなアイデアがあるんだ」とすごく学ばせてもらいました。学生たちがバンバン意見を出してくれて、考えをはっきりと言ってくれるのが好印象でした。本当にみんなに助けられたんです。

実験区が次のステップに進むための原動力に
―振り返って、どんなチームだったと感じますか?
大塚さん:僕は普段札幌にいるのでほとんどZoomでしかコミュニケーションをとれず、やっと東京に行けることになった日にも電車に雷が落ちて行けなかったりと、はがゆい思いをしました。全員で揃って顔を合わせることはできませんでしたが、すごくいいチームだったと思います。往復書簡のように今後もやりとりできたらうれしいですね。
―今後目指していきたいビジョンはありますか?
大塚さん:この事業を通じて、月形町や世の中が変化していくといいなと思っています。まずは月形町でシナジーを起こしたいというのがきっかけではあったのですが、北海道は面積が広く、網走、帯広、旭川、札幌など点々と刑務所があります。そのなかには廃所になる可能性の高い刑務所もある。ただ、刑務所の機能はなくしても建物や施設は残そうという動きも出ていて、北海道の農業と連携することを目的に残すという方向性もあるようですが、はっきりとした運用方法は決まっていません。
だからこそ、月形町でいろんな人に関わってもらいシナジーの起こし方を示すことで、北海道中、もしくは日本中に同じような取り組みを増やしていきたいですね。刑務所はなくなっても、地域の過疎化を減らしながら地域が元気になる未来があったらいいなと思っています。
―あらためて実験区に参加していかがでしたか?
大塚さん:このプロジェクトを推進していくための原動力、そしてスタートを切るための大きなモチベーションになりました。さまざまな方とつながってご意見やアイデアをいただくことができ、特に東京の人たちとつながれることは地方に住む僕にとってはすごく大きなことでしたね。それに、僕はアイデアを散漫的に出してしまう性分なので、しっかりと筋道を立てて伝えていくことは勉強になりました。
―最後に、このプロジェクトの今後の展望について教えていただけますか?
大塚さん:受刑者とコミュニケーションをとったうえで、受刑者との新しい関わり方を提案してマッチングし、実証に向けて進めていければと思っています。 また、地域の方々とまちづくり会社を一緒に立ち上げようという動きも進めています。いまは拠点となる物件の取得に動いていて、次年度には立ち上げる予定です。