電子工作を超えた“無用の長物”の居場所をつくる

2024年度の武蔵野美術大学実験区「MAU SOCIAL IMPACT AWARD」で入賞し、アクセラレーションプログラムに進んだチームにインタビュー。今回お話を聞いたのは「超電子工作〜野生のプロトタイピング〜」を提案したチームの代表者・吉松駿平さんと柚木信寿さんです。“おもしろい電子工作をつくりたい”という、まさに個人の欲求から生まれたこのプロジェクトの物語をうかがいました。

▼チームメンバー
代表者:吉松駿平(ゲキダンイイノ合同会社)
柚木信寿(武蔵野美術大学 クリエイティブイノベーション学科3年)

▼マネージャー
酒井博基(d-land 代表、プロデューサー)
三島賢志(フリーランスプランナー、フォトグラファー)

▼メンター
青木俊介(武蔵野美術大学 教授、ユカイ工学株式会社 代表)


役に立たなくても、おもしろい仕掛けを

―まずは事業アイデアの概要を教えてください。

吉松駿平さん(以下「吉松さん」):電子工作の世界のなかで異端とされる作品の“居場所”をつくる活動です。僕は電子工作で、ミントの土が乾くと電話がかかってくる「面倒ミント」や方位磁針の要領で北を触覚で伝える「方位自身」などの作品をつくってきました。前者では電話をかけすぎて着信拒否される様子まで含めて作品としてまとめあげ、公募やイベントに出していたのです。


しかし、電子工作のアウトプットを世に出そうとすると、暗黙のうちに商品化が前提になる。その結果、売れることを目的にテクノロジーの新規性やわかりやすい利便性が重視されます。その点で僕の作品は異端であり、既存のコミュニティだと評価のしようがないものになってしまったんですね。その代わり、すごくピュアで自己探索的な創作活動ではあると思っていて、それがひとつのジャンルになったらいいなと考えたのが出発点です。

―実は「超電子工作」は、審査員のなかで一番議論が巻き起こったプロジェクトでした。というのも、武蔵野美術大学実験区では個の発露を重視しているので、ビジネスアイデアをスケールさせる、成長させることは重視しない。とはいえ、そもそもこれはビジネスたり得るのかという議論になりました。しかしながら、ピュアな活動の副産物として、ビジネスのプロセスでは変えがたいものが生まれるのではないかということで、準グランプリに選ばれたんです。

吉松さん:ありがとうございます。一番の目的は、居場所をつくるために「自分らの作品はこういうものなんだ」と旗印を立てたいということです。テクノロジーは世界をよくするために使うものと捉えられがちですが、自分の場合はシンプルに“おもしろがる”ためにテクノロジーを使っているんです。

もともと、自分が高専に通っていたときに、授業や実験が退屈で、そこから抜ける方法が創作活動であり、道具が電子工作の技術だった。そうして自分の心を豊かにするための創作として始めたものの、それがジャンルとして存在しないモヤモヤをずっと抱えていました。異物をつくりながら「自分のやりたいことって、こういうことなんです」とひたすら発表し続けていました。

―「超電子工作」という名前になった経緯を教えてください。

吉松さん:作者が身体を張ったり、パフォーマンスと一緒になったような作品だと、作品自体に自分が投影されたり、なにかしらの態度として表明されやすくなります。そうすると、技術的な知識がまったくない人にもメッセージが伝わって、一緒に考えてくれるようになるんですよね。それはもう電子工作を超えたものだろうと、「超電子工作」と名付けました。

概念として一番色濃く影響を受けてるのは「超芸術トマソン」(※)です。芸術だと思ってつくられてないし、作為性もない。けれど、芸術よりも芸術らしい無用の長物であるというところ。それは、自分がつくってるものは決して役に立つものではないというところと共通するのではと思っています。

※美術家・赤瀬川原平らが提唱した概念。トマソンとは、街なかで不動産と一体化しつつ“無用の長物”となった建築物の一部のことを指す。

また、サブタイトルに「野生のプロトタイピング」と入れていますが、これはもともと電子工作のコミュニティでよく使われている「野生のプロトタイプ」というワードから来ています。従来のプロトタイプのように製品化することを目的にしたものではなく、ただ純粋な技術に対する好奇心でつくられたもののことを指します。「超電子工作」はこれに近くはあるのですが、好奇心というより表現手段として電子工作を扱っていることから、自分の中で明確に違いがあるため、メインタイトルは「超電子工作」とし、サブタイトルに「野生のプロトタイピング」と名づけました。

実験区を通して欲求の輪郭が明確になった

―柚木さんは個人で実験区にエントリーし、途中から吉松さんのチームに合流しました。吉松さんの事業アイデアに興味を持った理由を教えてください。

柚木信寿さん(以下「柚木さん」):僕は当初ものづくりをテーマにしたアイデアを練っていました。ものづくりの技術的なことや社会的利点ではなく、表現活動自体の魅力や価値がもっと社会に認識されてほしいという思いからです。

というのも、僕の実家は陶芸教室をやっていて、世の中の陶芸教室の印象はどちらかというと、芸術力を高めたいとか、実利に重きを置く方が多いと思うんです。でも、陶芸の教育的価値や、精神的健康度が下がっている方に届けられるものづくりを考えたいと思い、実験区に参加しました。

一応マネタイズできるアイデアを考えて発表したんですが、あまりうまくいかなくて。そんななか、吉松さんの発表を聞いて、これが僕がやりたかったことだと感じました。扱うものは違うけれど、精神性がとても近いと思ったんです。話をさせてもらって、チームに加わらせてもらうことになりました。

―吉松さんはムサビの学生とチームを組んでどう感じましたか。

吉松さん:自分は電子工作の人間で、技術でしかしゃべる言葉を持ち合わせていません。でも柚木くんは、扱うものが違っても、「そういうものってすごい大事だよね」という思いをわかってくれた時点で、一緒にやれると思いました。「吉松さんが言ってることって、こういうことじゃないですか?」と言ってもらうために、柚木くんに考えを聞いてもらって整理する“壁打ち”のようなことをさせてもらいました。

2024年12⽉13⽇(金)・14日(土)に開催された「武蔵野美術大学実験区 DEMO DAY 2024」でプレゼンテーションを行う吉松駿平さん


―柚木さんは実験区に参加してどうでしたか。普段の授業との違いは感じましたか?

柚木さん:クリエイティブイノベーション学科では、机上論を考える前に手を動かして、また考えることを重視しています。そうやって「考える」と「手を動かす」を繰り返し、プロトタイピングをして思考力をつける学科です。

それに対して、実験区は自分の心のなかにある欲求のディティールを上げていくような場所や時間だったと思っています。最初の自分の欲求を1年弱の期間、いろんな人と話し、壁打ちしながら追求していくうちに、自分が譲れない部分が見えてくる。または、ほかの人のアドバイスを聞いて、やっぱここは違うのかなと気づく。最初はあいまいだった欲求の輪郭がしっかりしたものになっていくのを感じました。

―吉松さんは実験区に参加して、変化した部分や影響を受けたと思う部分はありますか。

吉松さん:「自分のやりたかったことって本当にこうなんだっけ」「自分に嘘はついてないか?」と考える時間でした。ビジネスが絡むと、「人のため」みたいに、いつのまにか三人称にすり替わってることが多いんですよね。「コミュニティのため」というのも、もちろん実際にそういう部分もあるんですが、でも、自分の居場所がないということと、コミュニティを盛り上げたいという気持ちをちゃんと切り分けるべきだなと。実験区で感じたいろいろなことに対して、いまでも本当にそれでいいのかなと考え続けています。

―今後の展望や方向性は考えていますか。

吉松さん:居場所づくりに関しては、まずは美大生のようにギャラリーを借りて展示をやってみたいと考えています。作品を展示していろいろな人に見てもらうことは、美大生にとってはおそらく普通のこと。でも電子工作の界隈だけにいると、コミュニティの外に向けた発信はしづらいところがありました。

電子工作のコミュニティに対しては、お世話になりましたという気持ちがあるので、運営にも関わりたいと思っています。けれど、僕の作品のように身体を張ったプロダクトを評価するコンペがあればいいなという思いを持っていて。いまはメディアアートのコンペに含まれてしまっていて、思想の話と表現技法として優れているかという話がごちゃまぜになっている。だから、それとはまた違う評価軸をつくっていく活動をやっていきたいです。

それからやっぱり、“異物”をひたすらつくり続けていきたい。作品を使って、街のなかで間違い探しができないかなとずっと思っているんです。忙しくしているとギリギリ気づかないぐらいの異物を街にばらまいて、「実はちょっといつもと違った」みたいな体験を生み出したい。それで知らず知らずのうちにみんなの価値観が変わっていくようなイメージでしょうか。自分の活動で社会に影響を与えるには、そういう形がいいなと思っています。

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